第13回 高知県 株式会社KAWAMURA様

川村氏を珊瑚の道へ進むことを決意させたのは、その圧倒的な美しさだった。

川村氏が珊瑚に興味を持ったきっかけを知るために幼少時代の話を伺うと、野山を駆け巡って遊ぶなど、どちらかというとガキ大将的な性格だったそうだ。しかし、そんな勇壮活発な青年に不運が訪れる。中学3年生の時に事故で両足の自由を奪われてしまったのだ。「その時は“人生終わった”と思いましたよ。でも誰でもそうだと思いますが、時が経てば苦しいことは忘れるんです」。50年以上も前の社会はバリアフリーも十分ではなく、仕事の選択肢も少なかった。そのような環境に身を置きながらも、閉じこもることなく進むことを決意した10代の川村氏のポジティブさには、感動すら覚える。その後23歳の時に知り合いから珊瑚加工の仕事を勧められる。「実際手にした瞬間に、珊瑚の美しさの虜になりました」。経験したことのない美しさに魅了された同氏は、加工職人としてスタートするが、修行期間が終わると職人としての道を諦めてしまう。「職人には向いてないと実感したんです。ただ珊瑚加工品をつくっていきたかったので、腕の良い職人と組んで一緒に取り組んでいました。最初からよく売れましたね」。職人に何種類もの珊瑚の原木を切って渡していた同氏。その豊富な経験が、原木の落札の際には、確かな目利きとして大いに役立つことになったという。

コーラルブランドとして初、バーゼルワールドのHall2-2への出店を実現。

川村氏が高級珊瑚ジュエリーに挑戦しようと決意したのには、時代の変遷という外的な要因以外に、もう一つの理由がある。川村氏がイタリアを旅していた時、ミラノでスーパーブランドが珊瑚を使用した商品を販売しているのを見たからだ。「これだったら私たちにもできる、いやもっと良いものがつくれるはずだと思ったんです」。珊瑚の品質はもちろんのこと、高知で培われる職人の技は世界で通用すると確信していたからだという。世界で勝負をすると決めた川村氏は、スイスで毎年開かれている宝飾品や時計の世界最大級の国際見本市「バーゼルワールド」へ出展する。「カルティエやヴァンクリフ&アーペルといった名だたるブランドも、最初はバーゼルから始まっていたので、そこを目指しました」。その後2012年に、コーラルブランドとしては初となるHall2-2への出展を実現した。Hall2-2は、同見本市の中でも著名ブランドのみが出展できる場所。デザイン、加工、制作の全工程を日本人によって手がけ、オールジャパンメイドにこだわったジュエリーが認められたことになる。しかし川村氏は、これからですよと微笑む。「海外の女優たちが “珊瑚のジュエリーを身につけて、レッドカーペットを歩きたい”。そこまで思わせることが理想ですね」。川村氏の夢は、常に先を見ている。

高級珊瑚といえば、KAWAMURA。そこまでブランド力を高めたい。

目標を一つ一つ着実に叶えてきた川村氏だが、やるべきことがまだまだあるという。その一つが、KAWAMURAとしてのブランドづくりだ。「バーゼルに出展し、海外のバイヤーからも認められてきましたが、さらなる認知度向上はこれからだと思っています」。“高級珊瑚ジュエリーといえば、KAWAMURA”。そこまでブランド力を高め認知させるには時間が相当かかる。その実現のためにも、高度な技術力を持ち合わせた、次世代の後継者育成に今最も力を入れているそうだ。「世界レベルの一流の職人を育てたい」という川村氏に、育成方針を尋ねると「各自が持っている才能を開花させることです」と開口一番教えてくれた。才能はどこに、どのような形であるかわからない。画一的な方向付けなどはせず、まずは職人一人ひとりが自由に制作することを大切にしているという。職人たちに制作環境について聞くと「代表からは良いものをつくれとしか言われません。自分自身の自由な発想でつくれるのは、職人として恵まれた環境にいると思っています」と、皆同じような気持ちだった。何かの真似とか、流行のものを求めるのではなく、オリジナリティを追求し続けていく。実は、これこそがブランディングに必要な姿勢でもある。川村氏は時間がかかると話していたが、KAWAMURAのブランドづくりは、それほど時間は必要ないかもしれない。