乗り手一人ひとりに合った自転車づくりで、確かな信頼を得る。
サイクルロードレースは、今でこそ日本でも人気が高いが、中川氏がロードバイクに目覚めた当時は、日本ではまだ知名度は低かった。一般道路で練習をしていると、競輪選手と間違われることも多々あったという。「フランスを一周するツール・ド・フランスのレースを見ていると、いろんな風景を駆け抜けるシーンが感動的で素晴らしかった。今は人気がそんなになくても、将来日本でも必ずブームになると確信していました」。そんな思いを抱いていたため、ビルダーとして選手を支えていきたいという思いに迷いはなかったという。中川氏は自身が選手だったため、ロードバイクが自分の身体に合ったものではないと、良い記録は出せないということを体感している。「その人の身体寸法からフレームをつくるのではなく、最適なポジションと乗り方を含めて提案した上で、オリジナルの一台をつくっています」。その人、一人にしか合わない自転車づくりのため、手間も時間もかかる。以前は、オーダーを受けてから2年から3年も待たせてしまう時期もあったそうだ。これほど時間がかかっても中川氏につくってもらいたいという人が跡を絶たないのは、その確かな性能に誰もが納得しているからだ。
一流のブランドとして成長させたいという、強い決意を抱いて創業。
中川氏がつくる自転車のブランド名は「NAKAGAWA(ナカガワ)」、ブランドカラーはピンク。ロードバイクファンには馴染みのロゴであり、信頼の色だ。これらは、中川氏のある思いが反映されている。「35歳でビルダーとして独立する時に、自分のブランドをつくろうと思いました。もちろん、やるからには一流のブランドを目指したかったんです」。イタリアの自転車メーカー「デローザ」や「ビアンキ」は、共に創業者の名前がブランド名になっている。同様に、ハイブランドの時計やファッションも創業者の名前がそのままブランド名になっているものが多い。「自分の名前を使うということは、覚悟がいりましたよ。一流のブランドに成長しなければ意味がないのでね」。ブランドカラーのピンクは、他では使われていない珍しい色だったが、良い自転車をつくり続ければ、必ずブランドカラーとして認知されると信じていた。「日本一の自転車屋を目指していたんですよ」と照れながら話してくれたが、今や国内だけでなく、海外でも人気を博すまでに成長している。
「次はもっと良い自転車がつくれる」。職人としての飽くなき向上心。
中川氏は自転車づくりにおいて師匠がいたことはなく、全て独学。海外のロードレースで優勝した選手の自転車のスケルトン(車体構造見本)を雑誌で見つけ、それを参考に覚えたそうだ。「あくまでも基礎を学んだだけです。そこから自分の個性をどれだけ出せるかに力を注ぎました」。フレームを塗装する前の鉄素材を見ただけで「これはナカガワだ!」と分かるようにしたかったと言う。そこまでオリジナルにこだわる理由を伺うと「私が死んでも、ナカガワのフレームは残ります。独立当初から、自分の存在証明を残したいという思いは強くありました」と教えてくれた。実は中川氏は車も好きで、若かった頃つくり手として自転車か車で迷ったことがあるそうだ。だが、ナカガワという車をつくることはできないので自転車を選んだ。それほど、自分の存在証明を残すことへのこだわりは強い。さらにもう一つ、中川氏にはこだわりがある。自転車づくりを進化させ続けることだ。「昔つくった自転車はもちろん、今でも完成形ではないんです。これで完成したなんて言えない。もっと良いものがつくれると思っていますから。限界をつくらず、一生勉強です」。ビルダーとして死ぬまで自転車をつくり続けたいと願う中川氏。「できれば、バーナーを持ったまま死にたいですよ」と笑うが、その言葉は職人としてのまぎれもない真実の気持ちだろう。