社会に貢献できなければ製品とは言えない。
RCカーやRCヘリのブーム当時の人気は凄まじく、同社スタッフの日下部氏によると「小学生や中学生だった頃のお正月は、販売店のシャッターが開く前から皆んな並んで買っていましたよ」と教えてくれた。しかし今、ブームは落ち着きを見せている。経営という視点からみると事業の縮小や撤退といった言葉が浮かんでしまうが、専務取締役の高田氏によると「それはないです」と断言する。「RCヘリはホビーですが、実はホビーで終わっていないんです。農薬散布は産業用のRCヘリで行われていますが、操縦するフライヤーの多くの方はホビーを経験した人たち。ホビーの存在意義はフライヤーを育てることなんです」。農薬散布用はホビーよりも機体が大きく、操作技術に習熟していないとできない。そのためRCヘリ経験者が、フライヤーとなって活躍しているそうだ。「私たちが考えるものづくりとは、社会にどれだけ貢献できるか。社会に役立つものでなければ製品とは言いません」。その言葉を実践している代表例が、ヤマハ発動機が完成させた世界初の本格的な薬剤散布用無人ヘリコプター「R-50」だろう。開発計画にはヒロボーも共同で参加している。「他にも、物質を届ける山岳救助用や災害時の消火活動、人命救助を想定したものまで、培った技術を応用したものづくりに挑戦しています」。同社は「ありがとうの輪を広げる」という使命のもとものづくりに取り組んでいるが、世界中の笑顔をつなぐ製品の誕生に今後も期待は高まる。
社員が笑顔で働いていることが、会社成功のバロメーター。
現在の代表は松坂晃太郎氏。先代から引き継いだ後も、新たな製品の開発や技術の進化など順調に成長している。そのことについて伺うと「会社がいい方向に進んでいるかどうか。そのバロメーターは、社員が楽しそうに働いているかどうかなんです」と答えてくれた。社員が働きがいを感じて楽しく働いているかどうかが松坂氏にとっての成功であって、開発や技術の良し悪しは成功基準にならないと断言する。もともと同氏は技術者を目指し工学部に入学。大学院まで進んだが、ものよりも「つくる人」そのものに興味を抱き、どうしてそれをつくろうと思ったのか、といった心に関心を強めた。社員が楽しく働いていることが成功というのは、そういった人の気持ちを大切にしたいという意味合いからだ。「私は自分自身を舞台監督だと思っていて、シナリオを考え誰が何を担当すべきか配役を重視しています。舞台なのでスタートしたら幕が降りるまで手出しできないので、仕事中私は何も言いません」。その言葉通り、現場が動いている時はその場に行ってアドバイスなどをすることはないという。会社の代表から何も言葉がないということは、前に進むことを躊躇する人、不安になる人もいるのではないかと疑問を投げかけると「失敗したら私が全て責任をとると言っています。全て私が責任を負うので社員は失敗しても次にいけるんです」。やりがいを見出した仕事に対し、失敗をしてもいいから挑戦できる。社員の笑顔はこうした環境だからこそ生まれているのだろう。
地域に喜びを与えられる会社を目指す。
今でこそ、会社の代表として活躍している松坂氏であるが、僧侶を目指した時期がある。「興味を持ったきっかけはいくつかありますが、大学院時代に四国遍路をした時に、本格的に仏教に魅せられました。1日中座禅をしていたこともありますよ(笑)。どうしてもお坊さんになりたくて、2度ほど禅寺へ修行に入っています」。しかし、メディアでも取り上げられるほど同氏の父親は有名だったため「住職から、“あなたは家に帰らなくてはいけない人間だ”と諭されてしまい、2回とも修行を断念してしまいました」。もともと父親が亡くなったら会社を継ぐ約束をしていたが、志半ばで諦め会社を継ぐ決心をする。約束を守ったかたちになった同氏だが、他にも守っている約束がある。それは、地域のために行動するということ。「子供の頃から会社は地域のためにあるべきで、自分の利益のためではないとよく言われていました」。“地域のために”、この思いを象徴している一つの例が雇用の創出だろう。同社には社員のための託児所があり、その託児所で育った子が大人になってヒロボーに入社。定年までずっと働いたという人がいる。親子共々、ヒロボーを愛していなければ起こりえないことだ。「私の使命は来年迎える70周年のその先、100年まで続く土台をつくることだと思っています」。ヒロボーの成長はもちろん、同社が構える府中市エリアの発展にもぜひ注目し続けて行きたい。