金型の技術を応用することで、新たな製品を製造できることに気づく。
「少しずつですが、金型の業界が良い時代ではなくなりつつあることを感じていたので、継続してこの事業に頼っていてはいけないと私も思っていました」。そう感じていた弘明氏に、新規事業のきっかけとなる言葉を投げかけたのが、ダーツのあるバーのオーナーだった。「“会社の技術を利用すれば、ダーツの製品をつくれるんじゃないか”と言われたんです。最初は驚きましたが、ダーツはプラスチックの部品や、金属を切削した部品でできている。会社の事業と合致する部分が多いということに気づかされたんです。私自身もダーツが好きだったこともあり、挑戦してみたいと思いました」。決心はついたが、全くの異分野。分からないことだらけだったため、現場に出て声を聞くことから始めたという。「ダーツがあるバーに足を運び、オーナーや従業員、お客様などに話を聞いて、どのようなものが良い製品なのか徹底的に調査しました。ただし、バーがオープンするのは夜。仕事が終わってから愛媛県内だけでなく関西方面にも行っていましたので、睡眠時間が少なくて翌日遅刻することもあったんです。会社に迷惑をかけることがあり、なんとかして事業にしたいという思いは余計に強くなりました」。
世の中にはない、コスモ精機だからつくれるダーツ製品を開発したい。
形状を知ればすぐに制作に取り掛かることができるのではないか。そう思ったが、弘明氏はそれはしないと断言する。「現状あるものを、そのままの形でつくっても意味はないと思うんです。単にそれは、似たものでしかないので。自分たちなりのエッセンスを入れたいという思いは強かったですね。コスモ精機がつくるわけですから、加工に対するポリシーもありますし、デザインも今までよりも良くしたい。県内外問わず様々なバーに試作品を持ち寄り、多くの人に感想を聞きながら改良していきました」。準備に約4年ぐらい時間をかけ、その後製造の段階に入るが、そこで新たな壁にぶつかることになる。「私は工場の一技術者だったわけです。ものはつくれるけど、営業して販売なんてしたことがない。もちろんプロモーションもありません。どうして良いか分からず、私にダーツを進めてくれたオーナーと一緒に営業に行きました」。共同事業ではなく、あくまでも仲の良い友人であるオーナーが、なぜそこまでサポートするのか?純粋な疑問をそのオーナーの山本氏に伺うと「ダーツに対する先入観がないから、出来上がった製品がとても斬新だったんです。そしてクオリティがとても高い。ぜひ、多くの人に使って欲しいと思いましたね。そして新しいことに挑戦するということが私も好きなので、彼を応援したくなったんです」。
プロの間でクオリティが認められ、その販路は全世界へ向かっている。
弘明氏がダーツの製造販売を開始した翌年、リーマンショックが起きる。本業の金型事業は大打撃を受け、受注は激減。半年以後の仕事を失ってしまった。しかしこの時間をコスモ精機は、無駄にすることはなかった。それまで構想していたダーツラインナップを一気に製品化。さらに自信があったフィットフライトを売り込むためにプロの選手に会いに行くことを決意する。「松山で大きな大会があったので初めてブースを出しました。試合前に有名な選手がフライトを購入するために立ち寄ったので、迷わずフィットフライトを勧めたんです」。同商品は一般的なフライトより価格は高かったので、その選手は購入することに躊躇したそうだ。「とにかく使って欲しかったので、お金をもらわずに渡しました。すると試合後、“この商品いいね”とお礼を言いに来てくれて、さらに他の選手を紹介するとまで言ってくれたんです。クオリティが認められたことなので、とても嬉しかったですね」。その日を境に、有名選手が使用してくれるようになり、徐々にプロの間でも口コミで浸透。現在、出荷先は30カ国を超え、「COSMO DARTS」は全世界に広がりを見せている。