「会津張り子」。その歴史は古く、約400年前の豊臣秀吉の時代にまで遡る。豊臣秀吉に仕えていた蒲生氏郷(がもううじさと)公が、下級武士たちの糧になるようにと京都から人形師を招き、技術を習得させようとしたことが始まりと言われている。以来、長年つくり続けられている歴史ある郷土玩具だ。中でも会津地方の多くの家庭にあるのが「赤べこ」。東北地方では牛のことを「べこ」と言い、赤い牛の人形のことである。頭を動かすと上下左右に動く動作はユニークで、子供だけでなく大人もほっこりするほど可愛らしい。赤い色は魔除けの効果があると言われており、昔から子供が産まれると赤べこの人形を贈る習慣もあるそうだ。この赤べこ、近年はつくり手の高齢化が進み、現在は数えるほどになっている。そのような状況の中、技術革新を推し進め、会津張り子の大量生産を実現した「野沢民芸」を訪ねた。
福島県 野沢民芸品製作企業組合様 | 2018.12.6
福島県西会津町で会津張り子をつくる、野沢民芸品製作企業組合を訪ねて。
今回訪れたのは、福島県西会津町にある「野沢民芸」。会津張り子で「赤べこ」や「犬張り子」、「起き上がり小法師」などの伝統的な民芸品をつくっている工房だ。代表の伊藤豊氏は元々こけし工場で働いていたが、親方を亡くした後、職人たちと一緒に野沢民芸品製作企業組合を発足。1959年に設立し、50年以上の歴史を誇る。発足当時は、他にも何軒か工場があったそうだが、後継者などの問題でつくらなくなった張り子も野沢民芸に依頼されるようになり、次第に受注は増えていく。伊藤氏は張り子の原型となる木型をつくり、そこに和紙を貼る伝統的な技法でつくっていた。しかし和紙を貼る職人も高齢になり、手作業だと時間がかかるため、当然の事ながら大量にはつくれない。そこで同氏は、「真空成形」という独自の技術を開発。1日につくれる数を飛躍的に増加させることに成功した。「職人」と「大量生産」という、通常は相入れない関係に疑問を抱いていると「父はとにかくアイデアマンで、何でもつくってしまう人なんです。それに、伝統とは続けていくことに意味があるものだと思うので、時代にあわせて少しずつ手法を変えていく必要性を、自ら感じたのだと思います」と、娘の早川美奈子氏が教えてくれた。