フィリップ・デュフォー氏との出会いにより独立時計師を目指す。
ヒコ・みづのジュエリーカレッジの時計コースに入学した牧原氏。学生時代の話を伺うと、全てが新鮮で毎日が面白かったと回想する。「授業が楽しくて、時計に関することは全て教わりたいと思い1日も休まず通いました」。
ある時、同校にテレビ番組が取材で訪れた。牧原氏は「あなたが会いたい人は?」とインタビューされ、憧れの独立時計師 フィリップ・デュフォー氏に会いたいと答える。幸運にも後日サプライズで会えることになるが、この出会いが同氏のさらなる転機となった。「実は学校に入学するまで、独立時計師という自分で時計を製作している職人の存在を知らなかったんです」。憧れのフィリップ・デュフォー氏に会うと全てが衝撃だったそうだ。「金属の塊から部品をつくる方法をはじめ、装飾技法やデュフォーさんが大切にしている時計づくりの心得を学びました。“自分がつくる喜びが、お客様には伝わる、そこを大切にしなさい”という言葉は今でも私の時計づくりに生きています」。この出会いをきっかけに独立時計師を目指すことを決意。3年制のコースを卒業した後、さらに上の1年制コース「研究生コース(現:キャリアスクール ウォッチメーカーコース)」に進級し、専門分野の学びを追求することになった。
オリジナリティを追求した、唯一無二の作品が誕生。
初めて牧原氏一人で製作した作品は「菊繋ぎ紋 桜」。文字盤には江戸切子の代表的文様である「菊繋ぎ紋」が施され、裏面には牧原氏自身の手により桜の文様が彫金されている。私たち日本人にとって馴染みある江戸切子だが、文字盤に施したのは世界初。それだけ難易度の高いことへの挑戦であり、オリジナリティを追求する牧原氏の矜持が伺える。2019年に世界最大の時計見本市であるバーゼルワールドに出展されると、その年の大きな話題となった。二作目の「花鳥風月」では、文字盤は前作同様の江戸切子製。メジロのつがいを表現し、さらに花弁が開くオートマタ機構の採用や、地板に麻の葉紋を彫金するなど、技術力と発想力が集結した逸品となった。
2022年に日本人として3人目となる独立時計協会の正会員となった牧原氏に、自身が理想とするゴールを伺うと「独立時計師としてのゴールはありません。なぜなら、1つの時計を完成させるために必要な時間は膨大。私が生きている間につくりたい時計を全部つくるのは、時間的に不可能だからです。時計づくりに対して一生勉強を続けて生きたい。そして私が亡くなった後に評価されれば、それが誉れだと思っています」。
独立時計師とは、機械式時計を未来へ繋ぐ伝道師。
最後に牧原氏にとって独立時計師とは?と質問を投げかけると「機械式時計を未来へ繋いでいく伝道師だと思っています。機械式時計は何百年も前から続いています。1969年にクォーツ腕時計が世界中で広まっても、現代ではスマートウォッチなどのウェアラブル端末が誕生しても、機械式時計の人気は普遍。魅力があるから何年も存在しています。私にも、さらに未来に繋げていく役割があると思っています」。牧原氏は独立時計師として活動しながら、母校で教師も務めている。同氏は入学するまで独立時計師という職人がいることを知らなかった。教師を務めるのは、日本において独立時計師の認知度をさらにもっと高めたいからだという。「現在、日本人で独立時計協会の正会員は3人しかいませんが、日本人の繊細さ、忍耐力などは資質として向いています。製作環境さえ整うことができれば、活躍する日本人はもっと増えると思います」。生徒に牧原先生の印象を伺うと、「独立時計師という職業を多くの人に認知させたいという思いが強いですね」という感想が返ってきた。後進を育て「私のバトンを渡す日本人を一人でも多く育てたい」という牧原氏の情熱は、確実に生徒に届いているようだ。